この問題は考えたことがなかったのでちょっと考えてみました。
Koichiさんとは意見が分かれてしまいますが・・・
まず元々 成功するはずがない の「はずがない」というのは可能性の強い否定です。
成功するという可能性を強く否定し、断定している表現です。
では、意向形(~よう)+はずがないですが・・・文学作品などからいくつか例を拾ってみました。
(1)その無念さは、余りにも大きく、言葉では表現できようはずもない。
(2)郷里の成功者が、実は五辰と呼ばれる詐欺師だなどということは、金沢の片隅でわかろうはずもないのである。
(3)ホワイトボードに近いところ座るように言った。もちろん背くことなどできようはずがない。
(4)このような、古埃を被った商店街に、デザイン用品を商う店など、あろうはずもない。
私の考えた例: 頑固な父を説得できようはずもなく、あきらめるほかなかった。
どれも少し硬くて難しい文なので意味が分からないかもしれませんが、
このように並べてみると、
「辞書形/ない形+はずが(は/も)ない」との意味上の違いは感じません。
どちらも可能性の強い否定です。
二つの違いは文体の違いだと思います。「~うはずが(は/も)ない」は硬い文章の中で使う形で、話し言葉で使う人は普通いません。「~はずもない」と言う形で使うことが多いのも特徴かもしれません。(~もない という形だと 「勿論(もちろん)」~だ という感じが加わります)
それに対して「辞書形/ない形+はずがない」は話し言葉の中でも使います。
例えば
(1)A:田中さん結婚するらしいよ。
B:えー!35歳で仕事もない田中さんが結婚できるはずがないよ。
(2)
A:鈴木君、試験に合格するかなあ・・・
B:いつも遊んでばかりいるんだから、合格するはずがないでしょ。
以上です。参考になったでしょうか。