才能や能力のある人、あるいは、何か新しいことやってみたい人にとっては、なんて息苦しい社会のはずだ。
才能や能力のある人、あるいは、何か新しいことやってみたい人にとっては、(おそらく)息苦しい社会のはずだ。
才能や能力のある人、あるいは、何か新しいことやってみたい人にとっては、(きっと)息苦しい社会にちがいない。
「なんて」は、話し手の気持ちを表す表現ですから、「才能や・・・・・・・・・人にとっては、」に続く文章の中では使えません。
頑張ってくださいね!
「出る杭は打たれる」
日本には、「出る杭は打たれる」という諺がある。才能や能力のある人は目立つ。そういう人は、他の人から憎まれたり、邪魔されたりしやすいものですだ。この言葉の裏には、いくら才能や能力があってもそれを表に出して自慢するのではなく、大人しくしているほうがいい、という意味もある。
学校や職場でも、「出る杭」は、いじめられやすい。ちょっとでも目立つことをすると、その人のことをみんなが批判して、潰そうとする。学校や職場だけではなく、新聞やテレビなどのマスコミが「潰す」側になることもよくある。才能や能力のある人、あるいは、何か新しいことやってみたい人にとっては、なんて息苦しい社会のはずだ。
けれども、こんな言葉もある。「出すぎた杭は打たれない」。色々なビジネスを成功させた人の言葉だ。打たれることを恐れずに、どんどん出る杭になろう。
※「なんて息苦しい社会のはずだ」
「なんて」はhow、「のはずだ」はmust be、このふたつは一緒に使えません。したがって、
1)なんて息苦しい社会だ(ろう)
2)息苦しい社会のはずだ
のどちらかになります。
出る杭も、たくさん出てくれば打たれなくなるかも。びよ~ん