Opis
その晩おそく、ゴーシュは何か大きな黒いものをしょって 自分のうちへ帰ってきました。うちといってもそれは町はずれの 川ばたにある 壊れた水車小屋で、ゴーシュはそこにたった一人で住んでいて 午前は小屋のまわりの小さな畑でトマトの枝をきったり キャベジの虫をひろったりして ひるすぎになると いつも出て行っていたのです。ゴーシュがうちへ入ってあかりをつけると さっきの黒い包みをあけました。それは何でもない あの夕方のごつごつしたセロでした。ゴーシュはそれを床の上にそっと置くと、いきなり棚たなからコップをとって バケツの水をごくごくのみました。
それから頭を一つふって 椅子へかけると まるで虎みたいな勢いで ひるの譜を弾きはじめました。譜をめくりながら 弾いては考え 考えては弾き 一生けん命しまいまで行くと またはじめから なんべんもなんべんも ごうごうごうごう 弾きつづけました。
夜中もとうに過ぎて しまいはもう自分が弾いているのかも わからないようになって 顔もまっ赤になり 眼もまるで血走って とてもものすごい顔つきになり いまにも倒れるかと思うように見えました。
そのとき 誰か うしろの扉とを とんとんと叩くものがありました。
「ホーシュ君か。」ゴーシュはねぼけたように叫びました。ところが すうと扉を押してはいって来たのは今まで五,六ぺん見たことのある 大きな三毛猫ねこでした。
ゴーシュの畑からとった 半分熟したトマトを さも重そうに持ってきて ゴーシュの前におろしていいました。
「ああくたびれた。なかなか運搬は ひどいやな。」
「何だと」ゴーシュがききました。
「これおみやです。たべてください。」三毛猫がいいました。
ゴーシュはひるからのむしゃくしゃを 一ぺんに どなりつけました。
「誰がきさまにトマトなど持ってこいといった。第一 おれがきさまらのもってきたものなど食うか。それから そのトマトだって おれの畑のやつだ。何だ。赤くもならないやつをむしって。今までもトマトの茎をかじったり けちらしたりしたのは おまえだろう。行ってしまえ。ねこめ。」
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