今週は、上述の質問をItalkiで読みました。アメリカに対して、とても複雑な諮問ですが、私にとって、大事で、よく考える質問です。高校の頃と大学に比べて、あるいは兵士のときに比べると、私の答えは全く変わったわけです。そして、私の今の意見はアメリカ人の大衆の意見を代表するとは限りません。それにしても、私はいつも、必ず他の人に恭しく扱うようにしています。皆がそういうふうに他の人に扱うといいと思います。
私はニューハンプシャー州の田舎で生まれて育ちました。ニューハンプシャー州のニックネームとは「Cow Hampshire」で、牛数は人数よりめちゃくちゃ多いなんです。それで、田舎の学校に通い、不多様性な友達を作り、両親の意見を持っていました。実は、私の友達と知り合いの限りは、皆が白人でした。「多様性」のことについてあまり知りませんでした。もちろん、テレビなどで他の人種の人を見て、あの人が存在することが分かりました。でも、高校生の頃、不白人の一人しか会いませんでした。おかしいのは、ニューハンプシャー州は米国の北東にあり、もっと寛大な地域のはずです。白人だけが地域に住んでいると、「寛大な地域」と呼ばれるのは分かりにくいです。とにかく、多様性のことについて分かったことが少ないのに、「俺は博聞だ」と思いました。いつの間にか、大学に行ったとき、私の愚かな意見に気づきました。
野暮な田舎から来た私が大学でたくさんの他の生徒達にあって、友達を作りました。そして、他の意見と行き方を聞きました。専攻で、私がドイツ語、フランス語、とロシア語を勉強して、そして海外に行きました。よくヨーロッパとアフリカに行き、オーストリアで留学し、そして、全ての大陸に住んでいる友達を作りました。他の文化の影響と大切さがよく分かるわけです。卒業したとき、私が少尉として米国軍に仕えて、色々な多様性な兵士と一緒に務めました。その経験が私を影響して、良かったです。
私の本当の心からの意見は、文化多様性は存在なしで世界が続かないほど大切です。文化は人間を動物から別れるものです。そして、他の意見と文化の両方は革新や進行の鍛錬場を建てます。あいにく、最近アメリカでは私のような意見は皆さんに少し少なく持たれると思います。人種差別、例えば中東の戦争のせいの人種差別は増えています。そして、アメリカの警察は黒人に対する問題があるようです。多分政治的すぎますが、トランプ前大統領は責められるものです。私が帰郷さえしたら、よく自分の父の人種差別な思想を聞いて、なにか相談をしようとします。政治の理由にも関わらず、私のアメリカのための望みは、体験しなくてはいけないことの代わりに、いつか人種差別についてのことはただの教科書で読まなくてはいけないことになることです。