何が幸いするかわかったもんじゃない・何が幸いになるかわからないものだ
この表現を説明してくれませんか。英語でも日本語でも書いてもいいです。
You don't know what will turn out to be for the best.
Blessing in disguise みたいな表現ですか。
「ものだ」はどの程度まで必要ですか。
そして、「幸いする」と「幸いになる」の違いにニュアンスがあるかどうかわかりません。
※ ёжикさん(もしや「ハリネズミ」ですか?)は、日本語が達者な方とお見受けしたので、以下、日本語で記します。
>You don't know what will turn out to be for the best.
>Blessing in disguise みたいな表現ですか
はい、そうです。
>そして、「幸いする」と「幸いになる」の違いに
>ニュアンスがあるかどうかわかりません。
「同じ意味、同じニュアンス、違いは無い」と思います。
個人的には「幸いする」の方が好きです。言いやすいから。
>何が幸いするかわかったもんじゃない・
>何が幸いになるかわからないものだ
基本の文は:
「何が幸いするかわからない」です。文の論理構造は、You don't know what will turn out to be for the best.とほぼ同じです。
>「ものだ」はどの程度まで必要ですか。
「もんじゃない」「ものだ」をつけなくても、「何が幸いするかわからない」だけで意味は通じます。
もんじゃない = 「もの+で+は+ない」です。
「もの」は日本語を理解する上で、重要な言葉です。「もの」はthingに留まらず、もっと広くunmovable presenceの意味を持ちます。不気味に聞こえますか?そう、「もの」とは本来、「目には見えないが、確かにそこに存在する、動かしがたい何か」という不気味なものなのです(※「物の怪(もののけ)」とはお化けmonsterのこと)。
これが転じて、「もの」には「わざわざ誰も言わないが、そうすることになっている、当然のこと」「世間の暗黙の了解」「(unwritten) rule/principle of the world」という意味があります。
例文:
「人は助け合って生きるものだ」
「女の子がそんな言葉、使うものじゃありませんよ!」
「葬式にそんな服を着てくるものではない」
※ このように「ものだ」は説教臭いセリフでよく使われます。
「何が幸いするか分からないものだ」は、
「何が幸いするか分からない。それが世の理(ことわり)だ」という意味です。
「(何が幸いするか)分かったもんじゃない(ものではない)」は、修辞的表現(レトリック)です。
「分からないものだ」と「分かったものではない」は、分解すれば論理的、意味的に同じになりますから。(I don't know = it's not that I know)
FYI: https://www.italki.com/question/424709
14 Nisan 2018
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