大きくは以下のとおりです。
担当する ---- 「全体の一部を担う(になう)」
つとめる ---- 「やるべきことをがんばる」
***「担当する」
あなたは集団、組織に属している(一人ではない)。
そこでは、全体を動かすために、各人がやる仕事が、いくつかに、こまかく分かれている。
あなたは、多くの仕事のうちのひとつ、『仕事A』をやることになった。
あなたは、仕事Aを「担当」している。
- 営業を担当する。
- マーケティングを担当する。
- 売り場を担当する。
- (バンドの中で)ギターを担当する。
- (映画制作の中で)撮影を担当する。
- 司会を担当します、田中でございます。
***「つとめる」
ひとりなのか、それとも組織に属しているのか、いずれにせよ、とにかく、あなたは、がんばっている。なぜか? 今やっているのは、「やるべきこと」だからだ。それは「あなたの夢」「あなたの目標」ではない。それは、この社会(組織、集団)の中で生きる人間として、やるべきこと、である。だから、ときどき、やりたくないこともある。それでも、あなたは、やらなければならない。だから、やる。あなたは「つとめて」いる。
+++ やるべきことをやる。
- 銀行につとめる (=毎日、出社して、仕事する)
- 会社づとめ。役所づとめ。
- 定年までつとめあげる。
(※「定年まで働き上げる/勤務しあげる」とはいわない。
- 仏道のおつとめをする(=毎日、お経を読んだり、修行したりすること)
- おつとめを終える(「刑務所で刑期を終えること」の俗語)
- 親のつとめ( =親としての義務)
+++ 努力する
- 勉学につとめる。
- 問題の解決につとめる。
+++ 与えられた役割をがんばる。
- 司会をつとめます、田中でございます。
- 今度の芝居で主役をつとめる(=与えられた役割を果たす、がんばる)
※ 「担当する」と「つとめる」は、実は、交換不可能なことが多い。
「担当する」は客観描写だが、「つとめる」には、「まじめにがんばる」の印象が伴うため。
「今度の芝居で主役を担当する」というと、
なんとなく、「全体の中の一部です。仕事だからやります」という、やる気がない印象になる。
※
「銀行につとめる」「役所につとめる」とはいうが、
「ラーメン屋につとめる」「お菓子屋につとめる」「映画制作につとめる」とはあまりいわない。
「つとめる」には、あまり「楽しそうな、躍動した、やりたいことをやってる!」という感じはない。「修行」ぽい。